聖徳太子がお札に選ばれた理由や、透かし、秦氏とは?聖徳太子と言わない?

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聖徳太子のお札の買い取り価格は? 百円、千円、5千円、一万円毎。

百円札 聖徳太子 8,744

千円札 聖徳太子 16,012

五千円札 聖徳太子 17,055

一万円札 聖徳太子 31,416

 

かなり高額で買い取ってくれるようです。

そのまま(額面で)使えるものもあるのですが、それでは損なようです。

 

 

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もし手元に古いお札があるのであれば、一度買取をしてくれる業者の所に持っていき、換金してから使った方が良いようです。

大切に保管している方も割と多いのではないでしょうか。

 

聖徳太子の一万円札はいつまで? 今でも使える?

  • 寸法:縦84mm、横174mm
  • 肖像:聖徳太子
  • 発行開始日:昭和33(1958)年12月1日
  • 発行停止日:昭和61(1986)年1月4日

 

一般的に昭和の時代に使われていた聖徳太子の一万円札は「C号券」と言われるものです。

上にあるように昭和61年まで発行していたそうです。

現在でも使用することができます。

しかし、買い取り業者が一万円以上で買ってくれる場合もあるので、ひと手間掛かりますが、買い取り業者で換金した方がお得になりそうですね。

 

聖徳太子がお札に選ばれた理由は?

①「十七条の憲法」を制定したり、仏教を保護したり、中国との国交回復や遣隋使の派遣により大陸文化を採り入れるなど、内外に数多くの業績を残したため、国民から敬愛され知名度も高い

②歴史上の事実を実証したり、肖像を描くためのしっかりした材料がある

 

以上が主な理由ではないか、とされています。

聖徳太子の初めてのお札への登場は1930年(昭和5年)の百円札です。

その後、なんと合計で7回も、お札に登場しています。

発行する立場(国)としても、時代背景などを考えるとちょうど良い人物像として採用が繰り返されているのでしょう。

 

夢殿が初めての透かし模様?

C号券

初の一万円券として発行され、高度経済成長の一端を担うこととなった。透かしは法隆寺夢殿

 

紙幣の透かしは、日本の場合、明治期の太政官札がはじめとされています。

日本にはそれ以前に透かしの技術がありました。

そういったものを利用し、偽札防止などを目的に透かしが用いられました。

日本の紙幣に使われている、いわゆる黒透かしと呼ばれる特殊な透かしの技法は、海外からも評価が高く、流石に日本、アートだ、などとも表現されています。

現在ではホログラム(斜めから見ると見え方が変わるもの)なども使われています。

 

秦氏とは?

秦 河勝(はた の かわかつ、生没年不詳)は、飛鳥時代の人物。

姓は造。秦丹照または秦国勝の子とする系図がある。冠位は大花上

 

山城国葛野の出身。

聖徳太子の側近として活躍した。また、富裕な商人でもあり朝廷の財政に関わっていたといわれ、その財力により平安京の造成、伊勢神宮の創建などに関わったという説もある

 

聖徳太子を調べると、度々目にする秦氏の名前ですが、元々は渡来人で、ルーツは秦の始皇帝だともされています。

とても賢く、聖徳太子の側近として、大変重用されたそうです。

聖徳太子を語る上での重要人物の一人です。

 

聖徳太子とは言わない?

厩戸・前にて出生したので厩戸(うまやど・うまやと)と命名された

豊聡耳(とよとみみ、とよさとみみ)

上宮王(かみつみやおう)

「法起寺塔露盤銘」には上宮太子聖徳皇

『古事記』(和銅5年、712年)では上宮之厩戸豊聡耳命

『日本書紀』(養老4年、720年)では厩戸(豐聰耳)皇子のほかに豊耳聡聖徳豊聡耳法大王法主王東宮聖徳

聖徳太子という名称は死没129年後天平勝宝3年(751年)に編纂された『懐風藻』が初出と言われる。

 

厩戸と命名された経緯に関しては諸説あります。生前はかなり色々な名前があったようですね。

そもそも、聖徳太子と言われる様になったのも没後の話しだったのですね。

聖徳太子の頃の時代は、記録が残っているか残っていないかのぎりぎりな時代です。

残っている少ない記録をもとに真実を探っていくことになりますので、実はうやむやになっている事や、後から覆される事も往々にしてあります。

後の時代、奈良時代、江戸時代などの学説が一般化したものなどもあります。

そういったものの中には、現代の研究においては正しくないものなどがある場合もあります。

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