聖徳太子が教科書から消える?予言書や別名、実在は?

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聖徳太子は日本にいる人であればほとんどの人が知っています。

学校で習う際に重要人物として扱われていることと以前お札のデザインに使われていたことがその理由です。

そんな有名な聖徳太子ですが、最近は少し昔とは状況が違ってきているようです。

近年の聖徳太子についての状況をまとめてみました。

聖徳太子が教科書から消える?

そもそも、聖徳太子の称号というものは、有名な「憲法十七条」をはじめとした、数々の功績によるところです。しかし、なんと驚くべきことには、実は最近の研究によると、推古王朝は彼一人の功績によるものではなく、天皇や蘇我氏、厩戸王といった3者の協力による成果とされてきているようです。それによって、

① 冠位十二階などは「多くの人物」の手による合作
② 憲法十七条は彼よりも「後の時代」に完成した
③ 遣隋使は小野妹子より「以前から」派遣されていた
など、彼自身の実績とは直接関係ないとする可能性も指摘され、徐々に疑問が生じています。
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★ 少なくともこの時代に、彼が天皇の摂政として存在したのは確かですが、「聖徳太子」の称号に値する“すべてをひとりで成し遂げた”人物ではなかった、つまりは「“聖徳太子”はいなかった」とする見方が現実味を帯びてきました。
教科書にも以下のような変化が出てきています。

まだ上記の議論に結論が出ていないことから、従来の内容に従い、これらは彼の成した功績として記述していますが、人物名は「聖徳太子」とせず、本来の名である「厩戸王(聖徳太子)」としました。

(旧)聖徳太子 → (新)厩戸王(聖徳太子)

学校で使われる教科書は定期的に書き換えられています。

理科などでは新しい発見などにより事実が変わることなどがよくあります。

同様に社会、特に歴史分野でも新しい発見などによる教科書の記述内容が変わることはよくあります。今学んでいる事が確実な真実で、未来永劫変わらない、ということは言い切れません。

現在の教科書では、以前は「聖徳太子像」とさえていたものが「伝 聖徳太子像」とされているものが多いです。表記の方も、『聖徳太子』という言葉は時代の流れと共に徐々に削除されていく流れのようです。

教科書によっては、写真の掲載をやめたところもあります。

予言書の内容などは?

聖徳太子が予知した内容は『未来記』と『未然本紀』(みぜんほんぎ)という2冊の予言書にまとめられている。

『未来記』は、有名な『太平記』をはじめ各時代の書物などでたびたび言及がある。

『未然本紀』も江戸時代に幕府による禁書処分を受けてしまったものの、その内容は高く評価されており、現代まで写本が伝わっている。

予言の的中率も非常に高い。

鎌倉幕府の成立、蒙古襲来、南北朝の争乱、豊臣秀吉、徳川家康の天下統一、第二次世界大戦の勃発など、いくつもの予言が現実のものとなっているのだ。

予言書と呼ばれるレベルの未然本紀は、江戸時代には発禁処分になる程だったようです。他にはいったいどんな内容が載っているのでしょうか。大変興味深いですね。

聖徳太子の別名や読み方は?

本名は、日本書紀に登場する呼び名の「厩戸皇子(うまやとのみこ)」です。

より正確にいえば、「厩戸王(うまやとおう)」です。

日本書紀の編纂を命じた天武天皇・持統天皇の時代に、天皇の呼び名が「大王(おおきみ)」から「天皇」に変わりました。

生きていた頃には「聖徳太子」とは言われていなかったとされています。

一般的には「厩戸王」と呼ばれていたのではないかとされています。

実在した?いなかった?

厩戸皇子という人物が実在したというのは、書物などで確認ができます。しかしこの人物が聖徳太子と同じなのかどうかという点では、疑問が残っているのです。

厩戸皇子の実績で確かだと言われているのが、十七条の憲法と冠位十二階のみです。

随書に記載されている事柄ですが、その随書には推古天皇や厩戸皇子については一切記載が見られません。

日本書紀においても、厩戸皇子のことは記載がされてはいないのです。

近年の研究によって、聖徳太子に対する考え方が少しずつ変わってきています。

これまで聖徳太子の業績とされてきたものの全てが聖徳太子がしたものではないのではと考えられています。

厩戸王は実在していたとされています。

前後の時代の人や近い立場の人がやった業績についても、聖徳太子がやったということにされていたようです。

その理由としては、聖徳太子が稀に見る素晴らしい人であるということを強調することで、その時代に都合が良かったということが考えられます。

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